サイボウズ・ラボ二年半の思い出

プロフィールにも書いていますが、2002年から2005年の8月にかけて、Cybozu Corpというアメリカの会社で開発ディレクターを勤めていました。

それ以前は東京の町田にあるそこそこ大きな会社で企業向けのシステムのプログラマーをやっていましたが、主に処遇への不満があってベンチャー企業へ転職することになります。転職と同時に国も移ったわけで、自分としては大きな決断でした。

アメリカでは、サイボウズのグループウェアを英語やその他の言語に国際化する、という仕事をしましたが、ビジネス的にうまくいかず、Cybozu Corpは閉鎖、米国からの撤退が決まりました。そのときに転職してシリコンバレーに残るという選択肢もあったけれど、なんだかたいへんそうなので帰国して、サイボウズ・ラボの立上げに時に拾われることになります。

エンジニアに優しい開発環境・勤務体系を謳うサイボウズ・ラボの条件が良かったこともありますが、サイボウズから国際引越し代も出たし(せこい)、どこか早い段階で二度目の転職をするのかもな、という気持ちが最初はありました。「一流のエンジニアを何十人も揃える」という社長の畑のビジョンに対しても、実現の可能性がどこまであるのか醒めた見方をしてたように思います。(そのへんの差も実際に成功した人の凄さなのかもしれません。)

しかし、その後のメンバーの充実ぶりは、僕の当初の想像を完全に超えていました。

個人的にサイボウズ・ラボというものを見てみると、サイボウズ・ラボのロードマップは大きく二段階になっていると思います。「すごいメンバーを集めて、すごいものを作る」。前半ができているとしても、後半部分については、まだこれから紆余曲折があるでしょう。しかし、前半もできていない状況のところと比べれば、目標に近づいているのは確かではないかと思います。

サイボウズ・ラボの立上げのときに、人材採用の方針で一つ、強く意見したことは、「すごいチームを作るなら、自分よりもすごい人、自分が教われる人を採用するようでないとだめだ」ということです。このせいで、採用が厳しい、というような言われ方をすることもありますが、サイボウズ・ラボのような場所を作るにはこの姿勢を欠かすわけにはいかなかったでしょう。

後からどんどん、すごい人が入社してくるということは、自分がどんどん「できない社員」となっていくことでもあります。実際、今のサイボウズ・ラボの顔ぶれを見れば、自分がプログラミングで貢献できる分野はほとんどなくなってしまいました。自分がプログラマとしてダメな方だ、とは思いませんが、それぐらいサイボウズ・ラボの今のメンバーはすごい。最もデキが悪いので、仕方なく調査やブログをやってきたというところでしょうか。

毎日の社内でのやりとりで勉強させてもらえることで自分も伸びてると思いますが、それ以上に他の全員がより成長していくのです。すごいけどある意味こんなキツイ環境もないかもしれません。


このあとのエントリ、および個人ブログに続きます。たぶん。

[追記]

こちらへ続きました

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「サイボウズ・ラボ二年半の思い出」への3件のフィードバック

  1. なんだか良くわかりませんが、
    秋元さんの新しい道のりを応援しています!

    誰かと比べられるような「何か」じゃなくって、
    秋元さんならではの「何か」をこれからも期待しています!

  2. ありがとうございます。

    週7日のうち半分の時間を使うわけですから、自分らしい活動ができるように心がけていきたいと思います。

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